『峠』の先に見える “美ヲ済ス” 事

峠 ー司馬遼太郎 著 より

 

司馬遼太郎の企図は『侍とは何かについて考えてみる』ことだった。

河井継之助の生涯を素材に選んだかは越後長岡藩の非門閥家老の行動に侍としての一典型をもとめたからである。

 

河井継之助 1827年1月27日生まれ

空13格(火)心24格(火)艮31格(木)仁20格(水)全44格(火)三碧木星

 全体的に吉、凶が極端に出るドラマチックな人生。最終的には凶の流れが強くなり波乱の結果となる場合が多い。明るい性格で誰からも好かれる。強い行動力でメキメキと實力を發揮、事業の成功を引き寄せる。鋭い感覚を持つが成功を急ぐあまり強引な行動をとり周囲の人と争ったり、孤立しやすくなる。氣力と誰にも負けない才能で人生の荒波を乗り越える事ができるがもう一息のところで残念な結果となる。學術の才能高くその力を發揮できる。

 

 幕末期に完成した武士という人間像は日本人が生み出した多少奇形であるにしても、その結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える。

 サムライという日本語が幕末期から今尚世界語でありつづけているというのは、かれらが両刀を帯びてチャンバラをするからではないく類型のない美的人間ということで世界がめずらしかったのであろう。また明治語のカッコワルイ日本人がときに自分のカッコワルサに自己嫌惡をもつとき、かつての同じ日本人がサムライというものをうみだしたことを思いなおしてかろうじて自信を回復しようとするのもそれであろう。

 

 河井継之助は德川封建体制が崩壊せざるを得ない状況を明確に見定めていた。このような開明派は薩長側にもいなかった。継之助はほかならぬ幕末変革期に遭遇し、そこで彼のもつ可能性をフルに發揮し歴史の過流にのみこまれてしまった。

 

 継之助は降伏して妥協し長岡藩を保つことをせず、藩を地上から消してしまう道をたどる。思想としてつらぬかず美意識に転化してしまう。武士道に生きただけです。

 状況を見とおすことのできる目をもった男が見えない場にみずからをおすことのできる目をもった男が見えない場にみずからをおかなければならなかったことの必然を『峠』のなかで描いている。

 

 武士道の倫理に殉じ、いかに美しく生きるかといった美意識にまで煮詰めている。そのことによって陽明學徒としての継之助の生と死がより鮮明な肉付けを得た。

 

■心は万人共同であり 万人一つである

 どの人間の心も一種類しかない心に差はない。この場合心とは精神・頭脳のこと

 人間には心のほかに氣質というものがある。賢愚は氣質によるもの、氣質には不正なる氣質と正しい氣質とがある。氣質が正しからざれば物事にとらわれ、たとえば俗欲物欲にとらわれ心が曇り、心の感応力が弱まりものごとがよく見えなくなる。つまり愚者の心になる。

 

 學問の道はその氣質の陶冶にあり、知識の収集にあるのではない。氣質がつねにみがかれておれば心はつねに鏡明のごとく曇らずものごとがありありとみえる。その鏡明の状態が孟子のいう良知ということ。

 

 継之助は書物に知識をもとめるのではなく判断力を研き行動のエネルギーをそこに求めようとしている。學問は行動すべきものである。その人間の行動をもってその人間の學問を見る以外に見てもらう方法がない。

 

 人は立場によって生き立場によって死ぬ。それしかなく、そうあるばきだ。

 

 人は原則をもたねばならぬ。原則によって生きている。人間でも上等な人間にはある。親鸞道元日蓮良寛、利休、信長、謙信にはみな原則がある。他の人間には明快な原則がない。

 

 情熱とはなにものか。それは好惡です。好きかきらいかそういう情念です。理性や打算ではない。

 

 孟子は言う。「いかに威武ある存在からおどされても心も屈せず、いかに貧乏しても志を変えたりせぬ男をえらい男とうのだ。」

 

 西郷は言う、。「軍略家には臆病さがなければならないぬ。臆病さから知惠がうまれるものであり、人なみに恐怖もせぬ者から智謀は湧き出さぬ。」

 

 戦争は単に戦争であってはならない。大いなる政治構想と目的が必要であろう。

 

 人間成敗(成功不成功)の計算をかさねつづけてついに行きづまったとき、残された唯一の道として美へ昇華しなければならない「美ヲ済ス」それが人間が神に迫り得る道である。

 

■継之助の言葉

「天下になくてはならぬ人となるか、あってはならぬ人となれ。沈香もたけ、屁もこけ。牛羊となって人の血や肉に化して仕舞うか豺狼と為って人類の血や肉を啖い尽くすかどちらかになれ」

 

・松蔵が主人継之助を偲んで詠った歌

 「なき君の 今は時の忍(しのば)れて みたまを祭る けふの悲しさ」

坂の上の雲 其の捨 〜幸福な樂天家たち

坂の上の雲 より ー司馬遼󠄁太郎 著

 

司馬遼太郎は語る・・・・。

日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語が『坂の上の雲』である。

やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。

 

 維新によって日本人ははじめて近代的な『國家』をいうものもった。天皇はその日本的本質から変形されて、あたかもドイツの皇帝であるかのような法制上の性格をもたされた。だれもが『國民』になった。不馴れながら『國民』になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。このいたいたしいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。

 一定の資格を取得すれば、國家生長の初段階にあっては重要な部分をまかされる。素性さだかでない庶民のあがりが、である。しかも國家は小さい。政府も小世帯であり、ここに登場する陸海軍もうそのように小さい。その町工場のように小さい國家のなかで、部分々々の義務と権能をもたされたスタッフたちは世帯が小さいがために思うぞんぶんにはたらき、そのチームをつよくするというただひとつの目的にむかってすすみ、その目的をいたがうことすら知らなかった。この時代のあかるさは、こういう楽天主義からきているのであろう。

 楽天家たちは、そのような時代仁としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

 

 物事を現実的に判断するにあたって、思想性があることは濃いフィルターをかけて物をようなものであり、現実というものの計量をあやまりやすい。ときに計量すら否定し「たとえ現実はそうあってもこうあるべきだ」という側にかたむきやすい。芸術にとって日常的に必要なこのフィルターは、政治の場ではときにそれを前進させる刺激剤や発芽剤の役割ろをはたすことがあっても、ときに政治そのものをほろぼしてしまう危険性がある。

 

 日露戦争前夜・・・・民衆はつねに景気のいいほうでさわぐ。むろん開戦論であった。この開戦への民衆世論を形成したのは朝日新聞などであった。学者もこれを参加した。

→日本人は國民的気分のなかで戦争へ傾斜した。

 

 日本政府がやった対露戦の戦略計画は、ちょうど綱渡りをするような、つまりこの計画という一本のロープを踏みはずしては勝つ方法がないというものであった。

 緒戦ですばやく手を出してなくぎりつければ國際的印象が日本の勝利のようにみえ、戦費調達のための外債もうまくゆく。アメリカも調停する気になる。この点をひとつでも踏みはずせば、日本は敗亡するというきわどさである。

 このきわどさの上に立って、その大テーマにむかって陸海軍の戦略も、外交政略もじつに有機的に集約した。そういう計画性の高さと計画の実行と運営の堅実さにおいては、古今東西のどの戦争の例をみても、日露戦争の日本ほどうまくやった國はないし、むしろ比較を絶してすぐれていたのではないかとおもわれる。

 

 

ロシアの戦争遂行についての基本的な弱さ

 

 満洲における諸開戦のあとを観ても、その敗因は日本軍の強さよいうよりもロシア軍の指揮系統の混乱とか高級指揮官同士の相剋とか、そのようなことがむしろ敗北をみずからまねくようなことになっている。ロシア皇帝をふくめた本國と満洲における戦争指導者層自身が、日本軍よりもまずみずからに敗けたところがきわめて大きい。むろん、ロシア社会に革命が進行していたということも敗因の一つにかぞえられるが、たとえこの帝國がそういう病患をかかえていたとしても、あれだけの豊富な兵力を器材をうまく運営しさえすれば勝つことは不可能ではなかったのである。 →兵員というものはすぐれた指導官のもとではほとんど質を一変させて戦うもの

 ロシアはみずからに敗けたところが多く、日本はそのすぐれた計画性と敵軍のそのような事情のためにくわどい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろう。

 

日露戦争日本海海戦において聯合艦隊司令長官である東郷平八郎が決戦場に向かうnあたり故國にむかってその決心をのべるための電報

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃減セントス」

「本日天氣晴朗ナレドモ浪高シ」

東郷平八郎が讀み上げた「告別の辞」の結び

「神明はただ平素の鍛錬に力(つと)め戦はずしてすでの勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に一勝に満足して治平に安(やすん)ずる者よりただちnこれをうばふ 古人曰く、勝って兜の緒を締めよと」

 

秋山好古の言葉

 日露戦争における両軍の強弱の差は日本軍は國民軍であった。ロシアのように皇帝の極東に対する私的野望のために戦ったのではなく、日本側は祖國防衛戦争のために國民が國家の危機を自覚して統をとったために寡兵をもって大軍を押しかえすことができた。

 

日露戦争後の日本・・・・

 この冷徹な相対関係を國民に教えようとせず、國民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の國民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。やがて國家と國民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。

 

 

司馬遼太郎曰く

 小説は要するに人間と人生につき印刷するに足るだけの何事かを欠くというだけのもの。いまひとつ言えば自分が最初の読者になるということだけを考え自分以外の読者を考えないようにしていままでやってきた。

坂の上の雲 其の参 〜國民の成立

坂の上の雲 より ー司馬遼󠄁太郎 著

 

■日本における國民意識の成立

 形式的みれば大化ノ改新で國家が成立して平安末期までつづいたが、一番かんじんな國民が成立していなかった。國民意識などというものはなくて、ただ王朝が上にのっかっているだけという時代。

 鎌倉政権は当時の農業主であった武士たちが自分の作った田んぼを自分のものにしたい、律令体制に組み入れられたくないとうことで反乱をおこして樹てた政権ですから、きわめて地についた合理的な政権であり少なくとも当の武家階級にとっては自分たちの政権ですら、國民意識に近いものはもった。(元寇が来たのがこの時代だったので助かった)武士以外の人たちは律令的な気分のままでいた。

 近代的な國家における國民意識は維新後で明治政府ができてから近代國家は非常に苛烈なもので、徴兵のほか一般の人々は納税と教育の義務を負わされている。明治期の庶民は國家が成立したために個人個人に重い荷物がかぶさった。國家というものはきわめて形而上的なものですから一般庶民にはよくわからない庶民にとっては要するに國家はつらいものだった。

 日本は鎌倉、戦國、江戸期を経験して自分の上部に國家というおかしな形而上的なものがあってこれが大きな価値の源泉であるということが明治期の士族にはわかっていた。一般庶民も徴兵令によってあるいは教育によって士族化される。(江戸時代藩の中で士族は國家という理解しがたいきわめて形而上的な存在を自己同一する訓練をされていた)士族意識を持たされ國民國家、國民意識ができ上がるとそのテストみたいな初めての試練みたいな形で日清戦争がある。

 事の良し惡しは別として近代國家の成育過程をごく生物学的な態度として國民意識がこういう道を選んだ。

 

日清戦争を仕掛けた日本側の要人

 

陸奥宗光(第二次伊藤内閣外務大臣

空29格(水)心21格(木)艮14格(火)仁22格(木)全43格(火)三碧木星

全体的に成功と挫折が表裏一体波乱大きく成功が大きければトラブルも大きくなる暗示あり。仕事においては創意工夫の才能あり無から有を生み出す。努力と勤勉で人生を築き上げる立志伝中の人物に多い。強力な指導力有り、多くの人の信頼を得る。外柔内剛の粘り強い性格をもつ。責任感強くどんな苦労も克服して事業盛大希望を達成させる。若いときから人に認められる。

 

川上操六(陸軍参謀)

空6格(土)心20格(水)艮23格(火)仁9格(水)全29格(水)八白土星

全体的に聡明で持って生まれた知的才能、幅広い活動力で人の心を掴む。どんな分野でも高い地位、頂点を極める。有頂天になったり短気を起すと大きく凶を引き寄せる。目的に向かって一心不乱に突き進む前進前進の人。どんな事にも満足ぜずすぐ次に取り掛かる行動力をもつ。自分で良い流れを作ることが重要。周囲に流されては大きく運が凶へ傾く。

 

 

 

 日露戦争当時の政戦略の最高指導者群は、合理主義的計算思想から一歩も踏み外してはいない。当時の四十歳以上の日本人の普遍的教養であった朱子學が多少の役割をはたしていたともいえるかもしれない。朱子學は合理主義の立場にそれが江戸時代中期から明治中期までの日本の知識人の骨髄にまでしみこんでいた。

 

 日露戦争を指揮した首脳達は優れた戦略戦術を示した。すぐれた戦略戦術というのは、いわば算術程度のもので素人が十分に理解できるような簡明さをもっている。

 

日露戦争時の政府首脳

 

伊藤博文(初代内閣総理大臣 日露戦争時枢密院議長)

空27格(金)心33格(火)艮16格(土)仁10格(水)全43格(水)六白金星

全体的に活発な行動力と情熱を持ち華やかな成功を得るが最終的に運勢の波が衰えて不遇の立場となる場合がある。仕事は機を見るに敏でチャンスを掴み必ず飛躍する。周囲の人を驚かす大成功を収める。多角的事業の才能あり。精神的安定を図らなければ途中挫折の衰退運となる。素早い行動力で若くして實力を發揮する。成功を急ごうとすると周囲と争いになる。対人関係では温和な心で接すること。

 

小村寿太郎日露戦争までに日本の外交の骨格を作り上げた)

空10格(水)心21格(木)艮32格(木)仁21格(木)全42格(木)一白水星

全体的に温厚な性格で責任感強く、才智鋭く行動的な努力家。一歩一歩成長させ必ず輝かし成功を得る。ただし周囲から予期しないトラブルが發生して運勢が漸衰的に下降する場合がある。仕事では無から有を生ずる活發で運氣高い。勤勉で人生を築き上げる立志伝中の人物。多くの人の信頼を得て頭領となる。温和誠実で困難には誰にも負けない強い性格を持つ。雨露の惠みで草木が成長するようにどんな苦労も克服して事業盛大希望達成する。勤勉努力家で多くの人の援助を得られる。

 

山縣有朋大本営で陸軍参謀総長

空23格(火)心26格(土)艮14格(火)仁11格(木)全37格(木)九紫火星

全体的に独特な個性、才能の持ち主。新しい分野を切り開くパワーを秘めている。ただしパワーが強すぎ妥協心を欠くと周囲からの反発、抵抗が大きい場合もある。しかし強固な意志で信念を貫きどんな苦労も耐えて必ず目的を達成する堅実主義者。几帳面。周囲の人々や環境に惠まれる。積極性と明るさが必要。

 

桂 太郎(日露戦争時の内閣総理大臣

空11格(木)心14格(火)艮18格(金)仁12格(木)全28格(金)九紫火星

全体的に繁栄の暗示ありしかし其れを活かしきれない部分をもつ。自分の才能を活かして栄光を掴んでも一時的なもので足元は常に危うい状況にある。自身が活動的にあらゆる場所へ動き回る事で運を高める。エネルギッシュに仕事することが吉。カリスマ的才能を發揮できる。事故、急死、急変に注意。上長など周囲の援助を受ける。名声を得ることができる。短氣を起すと運が下がるので常に温和で焦りは禁物、慎重に行動する事が求められる。

 

寺内正毅陸軍大臣

空10格(水)心9格(水)艮20格(水)仁21格(木)全30格(水)四緑木星

全体的に盛衰吉凶極端な運命をもつ。特殊な能力で大成功を収める人も多い。成功しても急変波乱な人生となりやすい。ユニークで風変わりな芸術家的人柄。小さい事には頓着しない飾らぬ性格。約束は必ず守る不言實行の人で多くの信頼を得る。人に流されたり、気分にムラが多い。心情病、高血圧、血液の病気に注意。

 

高橋是清日本銀行副総裁)

空26格(土)心25格(土)艮21格(木)仁22格(木)全47格(金)二黒土星

全体的に温和誠實で地味、派手さを好まず一歩一歩石橋を叩いて渡る堅實主義で人生を築く。漸進發展の人物。人々の信頼厚く確実に運を作る。心温和にして良い人間関係を構築することで一層に發展を遂げる。自我心強く孤立すると凶運を引き寄せる。家庭運薄いので家庭を大事にする。

 

 

 明治は非能力主義的な藩閥とうものはあったが、しかし藩閥能力主義的判定のもとにうまく人を使った。明治日本というこの小さな國家は能力主義でなければ衰滅するという危機感でささえられていいた。

 

 庶民が『國家』というものに参加したのは明治政府の成立からである。近代國家になったということが庶民の生活にじかに突き刺さってきたのは徴兵ということであった。國民皆兵の憲法のもとに明治以前んは戦争に駆り出されることのなかった庶民が兵士になった。近代國家というものは『近代』という言葉の幻覚によって國民にかならずしも福祉をのみ与えるものではなく戦場での死をも強制するものである。

 

 明治維新によって誕生した近代國家は憲法によって國民を兵士にし、そこからのがれる自由を認めず、戦場にあってはいかに無能な指導官が無謀な命令をくだそうとも服従以外になかった。もし命令に反すれば抗命罪という死刑をふくむ陸軍刑法が用意されていた。國家というものが庶民に対してこれほど重くのしかかった歴史はそれ以前んはないが、明治國家は日本の庶民が國家というものにはじめて参加しえた集団的感動の時代であり、いわば國家そのものが強烈な宗教的対象であったからであった。

 二百三高地における日本軍兵士の驚嘆すべき勇敢さの基調にはそういう歴史的精神と事情が波打っている。

坂の上の雲 其の弐 〜戦は人

坂の上の雲・歴史の中の日本 より ー司馬遼󠄁太郎 著

 

 日本が戦争のかたちでロシアの極東戦略をはねかえすことができた最大の理由は日本政府も國民も、幕末以来つづいてきた日本の脾弱感をもっていたがためであり、このため弱者の外交という外交としてはもっとも知恵ぶかいものをやり、他の列強の同情を得るばく奔走し、同情と援助を得ることに成功した。要するに脾弱感が勝利の最大の原因であった。

 

■脾弱感

 幕末から維新は日本社会全体が一個の精神病にかかったような状態。攘夷論的ヒステリーも開国論的臆病意識も、夜郎自大的な徳川社会人が、にわかに國際環境を知ることによって日本の意外な脾弱さを知らされたための病的現象であったとみたほうがいいかもしれない。

 その脾弱感という國家をあげての病的意識からのがれるための唯一の道が『富国強兵』というものだった。

 

 日露戦争の前までは(日本は)自分の弱さを冷静に見つめ、それを補強するための戦略や外交政略を冷静に樹立することができた。

 ロシアはあらゆる國家機構が老朽しきっていた段階で日露戦争を戦った。日本はこれとは逆にこの戦役より三十数年前に革命をおこして『國民』が成立し、すべてが新品の國家だったわけであり、自然ひとびとは國家に対してロマンの最高の源泉をもとめていたし、國家機能も機能的に作動していた時期。

 ロシアは帝政末期で愚鈍さえお示した國家だった。そしてロシア帝国は相手の日本帝國に対して無知であった。勝敗の原因をもっとも大ざっぱにいえといわれればそう答えるしかない ーと司馬遼太郎は記している。

 

 

それでは、当時の陸海軍の上層部の名前から分析してみたい。

 

日露戦争時の軍・政府関係者の格数

 

児玉源太郎満州参謀総長

空13格(火)心19格(水)艮32格(木)仁26格(土)全45格(土)四緑木星

全体的に大きな野心を持って大吉。強力なツキに恵まれます。才能、俊敏さを兼ね備え其れ等を活かすビックチャンスが、必ず廻ってくる。その時こそ真価を發揮します。周囲の人に信頼され協力を得て達成に向けて一氣に突き進む。人脈も良い。出世運活發で多少の波はありますが年を重ねれば重ねるほど幸運の女神に恵まれます。大器晩成型。急な病気、心臓病・高血圧に注意。

 

東郷平八郎連合艦隊司令長官

空25格(土)心22格(木)艮27格(金)仁30格(水)全52格(木)九紫火星

全体的に自分よりも他人を尊重しようと考えるタイプ。鋭い感覚に惠まれ創造性あり、新しい事に挑戦して吉。ただ、しばしば相手のトラブルに巻き込まれる。周囲から迷惑をかけられる。自分の特異な個性を活かしてくれるような、実力あって發揮できない場合、最良のパートナーの出現が大きな幸運を導きます。パートナーの吉作用がパワーとなって大きな成功を収める。

 

山本権兵衛

日本海軍に最新鋭の軍艦を揃えることに成功し、世界の五大強国に連なる強軍に育て上げた)

空8格(金)心27格(金)艮45格(土)仁26格(土)全53格(火)四緑木星

全体的に運氣は安定している。堅実で努力家。人柄の良さから人脈にも惠まれる。活動的で弁舌の素晴らしさが特徴。實力發揮し金の如く輝かせる。頭脳明晰、健康面も吉ですが性格的に短氣で氣性の激しい部分もある。頑固が強すぎて孤立してしまう。つい余計な言葉を口走りトラブルを招く事になる。人に語ることできない苦労を抱えている。人生の前半、後半で運氣の良し惡しが明確に出る場合がある。

 

広瀬武夫(海軍少佐)

空35格(土)心28格(金)艮12格(木)仁19格(水)全47格(金)六白金星

全体的に吉運強大、堅実主義で一歩一歩基礎を固める。多くの人の支持を受け運勢が開花した瞬間、またたく間に上昇を極める。豊かな個性、決断力、實行力ともに優れる。盛大運を招くが、一転して急転直下の凶運になり、事故、急死、急變などの悲運となる事がある。

 

明石元二郎(陸軍大佐→ロシア国内外の反体制分子を扇動する内部攪乱工作を一任される)

空13格(火)心9格(水)艮20格(水)仁24格(火)全33格(火)一白水星

全体的に大きな野望を抱けば抱くほど、強力な運に後押しされて成功へとひた走る。明るく華やかで學術技藝の才能高い。頂点まで上り詰める。どんな状態や人にも適応する抜群の社交性をもつ。周囲との協調が野望成功の鍵。周囲を驚かすような事をやり遂げる。温和誠実で常に正道を歩み確実に人生を積み上げる。自身に信念無き場合は周囲に流され波乱な人生にもなる。

 

大山巌満州軍総司令官)

空6格(土)心26格(土)艮24格(火)仁4格(火)全29格(水)五黄土星

全体的に持って生まれた知的才能を開花させ幅広い活動力から大衆の人氣を獲得する。どんな分野においても高い地位、頂点を極める暗示があります。温和であれ強運続くが、短氣な面を出してしまうとせっかくの強運を凶作用へと引っ張ってしまうので注意が必要。目標が決まると達成まで一心不乱に突き進む。前進、前進の勤勉タイプ。積極的に行動して吉。人の信頼強く確実に幸運を引き寄せる。

 

乃木希典(陸軍第三軍司令官)

空5格(土)心10格(水)艮15格(土)仁10格(水)全20格(水)七赤金星

全体的に成功を収めても結局「転落」「全滅」などの凶作用が働く。上昇して大成功を収めても同じくらいの反作用で転落となってしまう。性格は一風変わっていて体制に入りにくく一匹狼なところがある。企画や計画などの仕事で能力を發揮する。突然素晴らしい発想で周囲を驚かせたりする。英雄的に祭り上げられる事もあるが浮き沈みの激しい運勢で、特に晩年の運氣が惡い。

 

伊地知幸介(少将 乃木司令官の下で参謀長)

空20格(水)心16格(土)艮12格(木)仁18格(金)全32格(木)三碧木星

全体的に苦労が多いが大飛躍を遂げる。頂点まで上り詰める力をもつ。ただし自惚れ、我儘が元で急転直下凶を引き寄せる。孤立、多くの敵を作る。努力家ですが緊張感が持続できず疲れやすい。職場でのトラブル多発。神経性からの病気に注意。親分肌で面倒見は良いが心に油断を生ずると人に利用され大損失を被る。

 

 此のように名前の格数で観ると、日露戦争時の陸・海軍のトップは概ね運氣の強い方が多い。ただしその中で異質なので乃木希典司令官です。水のエネルギーが強く自身が定まらず周囲の影響で流されてしまう。『坂の上の雲』で描かれている乃木司令官の姿が浮かんできます。

 たかが名前、されど名前・・・私達が生まれて最初与えられるプレゼントが名前です。名前の『名(めい)』は『命(めい)』です。その名前が引き寄せる運が自分の人生を大きく左右する。多くの方の名前を観ると、良い格数の方は、良い運の方(成功者)が多い。凶の格数の方はせっかく成功を収めても同じくらい転落してしまったり、周囲に大きな惡影響を与えたりしています。1500人以上の方を観てきましたが、強い数字を持っているの方は成功者が多い。凶の数字の方はそのような運に引き込まれています。

 戦争は國家の威信をかけた戦い。多くの國民の命を預かります。その戦争の指揮を行う方々の名前は凄く凄く大事なように感じます。今後詳しく分析しますが、日露戦争を指揮した方々は大変格数が良い方が多かった。しかし第二次世界大戦大東亜戦争・太平洋戦争)を指揮された方々は凶の名前の方多い・・・・・。其の戦争の結果は、皆様の知る通りです・・・・・。

 

 

次回は日露戦争時の政府関係者の格数を観ていきます。

 

坂の上の雲 其の壱

坂の上の雲より ー司馬遼󠄁太郎 著

 

明治維新日露戦争までの三十余年は文化的にも精神史のうえからでもながい日本歴史のなかでじつに特異である。

 これほど楽天的な時代はない。

 町工場のように小さい國家の中で部分々々の義務と権能をもたされたスタッフたちは、世帯が小さいがために思うぞんぶんにはたらき、そのチームをつよくするというただひとつの目的にむかってすすみ、その目的をうたがうことすら知らなかった。この時代のあかるさはこういう楽天主義オプティミズム)からきているのであろう。『坂の上の雲』はその日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。

 やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく、百姓國家がもったこっけいなほどに楽天的な連中がヨーロッパにおくえるもっともふるい大國の一つと対決しどのようにふるまったかという事を書いた作品である。

 

NHKでドラマ化された時、冒頭で流れるこの文章。渡辺謙さんの朗読と映像とが相まって印象深く心に刻まれている。司馬遼󠄁太郎さんのこの秀逸な文章で始まる『坂の上の雲』は、この混沌として先の見えないコロナ禍の今、改めて讀む事で多くの示唆を与えてくれるような氣がする。

 

主人公の格数は・・・

 

秋山好古 1859年2月9日生まれ 己未

 空12格(木)心9格(水)艮11格(木)仁14格(火)全23格(火)六白金星

 総合的に機動性に優れた大吉数を持っている。強烈なエネルギーを備えており、一代で地位を築く。素晴らしいパワーを持つ。強烈で短氣、我儘な性格に陥ることも味方も多ければ敵も多い。せっかくの味方が次の日に敵になってしまう事もある。

 如何なる世界でも無から有を生じる力があり、立志伝中の人的な成功をする。計画的に物事を進める。芸術的才能に長けるが家庭運は薄い。人に対して喜怒哀楽が激しく、やや移り気だが明るく華やかに振る舞いどんな人にも適応する。知的な仕事で成功する。

 

秋山真之 1868年4月12日生まれ 戊辰

 空12格(木)心13格(火)艮14格(火)仁13格(火)全26格(土)六白金星

 総合的に実力、才能を兼ね備えた英雄運を持つ。欲を出すと運氣のバランスが崩れる。着実歩みを進めて吉が続く。自信過剰から足元掬われ人生の落とし穴に嵌る場合もある。「色難」有り、スキャンダル、男女間のトラブル注意。

 仕事では燃ゆる火の如く活発で機を見るに敏、活気旺盛明朗活發、好氣を掴むと決断や早く積極的に行動して大成功。一瞬の休みもなく仕事を大成発展させる。頭の回転の早さが特徴。周囲の人の協力な援助を受け順調に成長し若くして成功を得る。健康運強く名声を得る。家庭運も強い。

 

●正岡常規(正岡子規)1867年10月14日生まれ 丁卯

 常規:空13格(火)心19格(水)艮22格(木)仁16格(土)全35格(土)七赤金星

 総合的に頭のキレが良く弁舌も立つ。學問、文学、芸術、芸能分野で大いに力を發揮し地位や名誉を築く。頭が良すぎて人生に「迷い」が生じ決断が鈍る場合がある。自分の強運を信じないとせっかくのツキを逃し人生空転してしまう。神経の使いすぎから心臓の病気に注意。目的が見つかると達成へ向けて一氣に突き進む。指導力が強い。周囲の信頼を受け、協力を受け人脈広がる。やや自己中心的に注意する。

 子規:空13格(火)心11格(木)艮14格(火)仁16格(土)全27格(土)

 総合的に名誉、権力に強い。運命のパワーと豊かな才能を發揮する。特異な個性で成功をおさめる。強運と同じくらい凶運も引き寄せる。不慮の災難が起きる。仕事面では強力な援助を受け大きく發展する。

 

 3人とも「金」が強いので自分を磨けば磨くほど光輝き成功をおさめる。意思の強さが「吉」へと転がる運氣。

 

■名言

 質問の本意をきく 

 質問の本意もきかずに弁じたてるというのは「政治家か學者のくせだ」こちらに求めようとしていることなどをあきらかにしてから答えるべきことを答える。そういう癖を平素身につけておかねば、いざ戦場にのぞんだときには一般論のとりこになったり独善におち入ったりして負けてしまう。

 

 「考え」というものは液体か氣体で要するにとりとめがない。その液体か氣体に論理という強力な触媒をあたえて個体にし、しかも結晶化する力が思想家、哲学者といわれる者の力である。

 

 人間に対する執着はつまり愛である。

 人の師となり親分なりに対するぜひ欠くことのできぬ一要素は弟子なり子分なりに対する執着であることを考えずにはいられぬのである。たとえばそれは母の子を愛するようなものである。

 

 自分の事業を『一生の大道楽』と表現する。

 

 戦術は目的と方法をたて実施を決心した以上、それについてためらってはならない。明晰な目的樹立、そしてくるいない実施方法そこまでのことは頭脳が考える。しかしそれを水火のなかで実施するのは頭脳ではない性格である。平素そういう性格をつくらねばならない。

 

 人間の頭に上下などはない。要点をつかむという能力と不要不急のものはきりすてるという大胆さだけが問題だ。従って物事ができるできぬというのは頭ではなく性格だ。

 

 発想法とはまず物事の要点はなにかということを考える。要点の發見法は過去のあらゆる型を見たり聞いたり調べることであった。

 

 研究方法とは過去の実例を引き出して徹底的にしらべること。それから得た知識を分解し、自分で編成しなおし自分で自分なりの原理原則をうちたてる。自分がたてた原理原則のみが応用のきくものであり、他人から學んだだけではつまりません。

 

■司馬遼󠄁太郎の言葉

 歴史への接近はひとつの感じをもとめて行く作業。

 

 歴史の主人公ににおいとか感じを飽くことなく求める。

 

 足ではなく『手掘り』の重要性

 史観は歴史を掘り返す土木機械。土木機械は磨きに磨かねばなりませんが、その奴隷になることはつまらない歴史をみるとき。ときにはその便利な土木機械を停止させて手掘りで掘りかえさなければならないことがあります。

 

●司馬遼󠄁太郎 1923年8月7日生まれ 癸亥

 空15格(土)心29格(水)艮37格(金)仁23格(火)全52格(土) 五黄土星

 この名前はペンネームですが、バランスの良い大変良い名前です。たぶん相当調べてこの名前にしたのではないかと思います全体が52格で強運数です。鋭い感覚財名に惠まれ、創造性ある強運名。新しい事に挑戦して大吉。無より有を生じる。一躍成功する行動力がある。機を見るに敏。周囲との関係も大吉の23格。この名前最強ですね。

 

致知格物:『大學』を識る

大學

 

『大学』は孔子の門人 曾子の作(?)朱子の顕彰によって有名になった。

「初學入德の門」として「四書」(『論語』『大学』『中庸』『孟子』の四つの書物)の中でまず第一に學ぶべきもの。

元々、『五經』の中の一つとして傳わって來た『禮記』四十九篇の中に編入された二篇であった。

『大学』は初學の者が道德へと入ってゆく爲の入門書である。夏・殷・周三代の古人の學問がどのような順序で行われたかが覗える。そして『論語』と『孟子』とが此の篇に続いて學ばれる。

●三綱領 『明明德』『新民』『止至善』

●八條目 『格物』『致知』『誠意』『正心』『脩身』『斉家』『治國』『平天下』

 

■『修己治人』の敎え

 「己れ自身を修める」道德説

 「人を治める」民衆統治の政治説とを兼ねた敎説が儒敎だと謂う事。

・大学敎育の三つの中心目標

 「明德を明らかにする」「民を親しましむる」「至善に止まる」

 明明德:輝かしい德を學んで、其れを一層輝かせてゆく。

 大学の道は、明德を明らかにする在り、民を親しましむるに在り、至善に止まるに在り。→「修身」「誠身」「正身」「正心」「誠意」

 

・知を到むるは物に格(至)る

 知能を推し極めて明晰にするには、物事について善惡を確かめる事だ。物事の善惡が確かめられてこそ、初めて知能(道德的判断)が推し極められて明晰になる。知能が推し極められて明晰になってこそ、初めて意念(おもい)が誠實になる。

 我が身をよく修める事を根本とする。此の根本を知り抜いている事を知識の極みと謂う。

→『物が格る』=万事万物の表も裏も精緻も粗大も全て隅々まで極め尽くされ、更に自分の心の完全な本質と偉大な働きまでもがすっかり明白になる。

→『知の至り』=知識が十分に推し決められた。

 

 自分の意念(おもい)を誠實にする=自分で自分を誤魔化さない。内なる己れ自身(意念)を慎んで修める。

 

 内に德ができると人の身体も其の潤いを受ける。心が公明正大であると肉体も邑楽かになる。

 

 自ら反省して修養する。内に省みて恐れかしこむ。氣高く禮儀正しい有様。

 

 人の臣として敬老慎の德に止まって其れを標準とし、人の子として孝行の德に止まって其れを標準とし、人の父としては慈愛の德に止まって其れを標準として都の人々との交際では信義の德に止まって其れを標準とする。こうして意念を誠實なものnしてゆくのだ。

 

 我が身をよく修めるには、まず自分の心を正す事だ。家を和合させる爲には、まず我が身を良く修める事だ。

 

「絜矩の道」(けっくのみち):一定の規準をとって廣い世界を推し量る方法。人を思いやる恕の德 「矩を絜(と)る」:身近で確実なものを規準とする意味がある。

 

 德が根本であって財物は末端なのである。財物を得る利益は本當ではなく、道義を守る事こそ本當の利益だ。

 

 人間は初めて此の世界生み出さた其の當初から、すでに誰もが平等に、仁・義・禮・智といった本性を与えられていた。〔性は善成り〕

 

■知を致すは物に格るに在り

 一般的な知識を十分に押し廣める(到知)爲には、世界の事物について其々に内在する理を極め尽くす(格物)べきである。

 朱子は「格物は窮理「理を窮める)」と同意である。万事万物についての窮理の工夫が明明德へと続く第一歩であった。

→自らの明德を明らかにする。『物に格り』『知を致し』『意に誠にし』『心を正し』『身を脩める』→格物致知は至善の境地をまず知る。

 

 天の明命:輝かしい天命として各人に分け与えられた個人の德性。

 

朱子の哲学では

 人間を含む万物全てが理と氣によって成り立っている。氣は物質性を持って万物の個別的な差異性を形成するが、其の差異性を確認して意味づけるのは、其々の個別の事物に内在する理の働きによってである。理は物質性を持たないでいて個物其々の特色を意味づける。理は心の中心にある「本然の性」としして純粋な最高善となる。現実的んは、其の純粋性は物質的な氣によって蔽われ、情欲が表れて善惡が混じり合う事になる。

 

「窮理」が必要なのは、氣による蔽いを取り除いて「本然の性」を發揮する(明明德)爲で有るが、其れには廣く事物についての個別の理を探求する事が必要だとした。

 

「荀(まこと)に日に新たにせば、日日に新たに、又た日に新たなり」(まことに一日新鮮になり、日々に新しくなって、更にまた日毎に新しくなれ)

 

「切るが如く磋くが如く、琢つが如く磨るが如し」=切磋琢磨

 

「天運循環」:四季の推移にみられるように自然の運行を循環とみるのは、一般的であったが更に其の法則性を人間世界にも廣げて政治の興廃歴史の転變も其の大きな自然法則のもとにあると考えられていた。

 

 古えの明德を天下に明らかにせんと欲する者は先ず其の國を治む。其の國を治めんと欲する者は先ず其の家を斉う。其の家を斉えんと欲する者は先ずその身を脩(修)む。其の身を脩めんと欲する者は先ず其の心を正す。其の心を正さんと欲する者は先ず其の意を誠にす。其の意を誠にせんと欲する者は先ずその知を到む。知を到むるは物に格(至)るに在り。物格りて后知至(きわ)まる。知至まりて后意誠なり。意誠にして后心正し。心正しくして后身脩まる。身脩まりて后家斉う。家斉いて后國治まる。國治まりて后天下平らかなり。

仁義禮智

孟子曰く、

 

 人間のは生命以上に望むもの(義)があり、死以上に憎みきらうもの(不義)がある。仁は人間の本来持っている心であり、義は人間の必ずふみ行くべき道である。

 

 つまらぬ部分(口や腹)ばかりを熱心に養うものは、結局つまらぬ人間となり、大切な部分(精神)を熱心に養うものは偉大な人物となるのだ。

 

 心のはたらきは考える事であるから、心でよく考えさえすれば、物の道理は分かってくる。

 

 天爵とは、仁・義・忠・信の四德や善を行う事を楽しんで倦まない実践力があり自然に人から尊敬される人。

 

 聖人の道を學ぶ者は、必ず仁義の道をもって眼目としなければならぬ。

 

 自分の持っている本心〔四端(よつはのめばえ)の心〕を十分に発展させた人は、人間の本性が本来善である事を悟るだろう。

 四端の心=人は生まれながらに持っている四つの善。其の四つの善なる心が発展して仁・義・礼・智になる(孟子性善説

 仁・義・礼・智の端緒(きざし)となる心=四端之心

■生まれながらに持ってる四つの心は、

 惻隠之心 →憐れみの心

 醜惡之心 →惡を憎む心

 辞譲之心 →良し惡しを見分ける心

 

 人間の本性が本来善である事を悟れば、やがて其れを与えてくれた天の心が分かるであろう。自分の本心〔四端の心〕を大切に保存し、其の本性を損なわないように育ててゆくことが、つまり天に仕える道になるのである。只管天命に順って、唯一筋に自分の身を修めて静かに天命の至るのを待つのが、天命を尊重する道である。

 

 人間として成すべき正しい道に力を尽くして死ぬのは、〔いわゆる人事を尽くして天命を待つ〕正しい天命なのだ。

 

 天地間の理法は生まれながらに皆自分の本性の中に備わっているはずのものだ。我が身に反省してみて、一点の偽りも無く眞心に欠けるところが無いような境地になれば、人生此れより大きな樂しみはない。また〔其処まで到達していない人でも〕大いに努力して思い遣りの眞心を他人に推し及ぼしてゆけば、〔やがて私心は消えて、自ずから仁の德は完成されるものだ。〕此れこそ、仁を求める一番手近かな方法である。

 

 羞恥心(はじるこころ)というものは、人間にとって極めて大切である。恥じればこそ、人間は勉強もし、進歩もするものだ。

 

 ただ欲に眼をくれず、德を尊び義を樂しんでさえおれば、必ず平然としておられます。

 人間は特に學ばなくとも、自然によくできるという能力(即ち良能)があり、彼是と考えなくとも自然に分かる知恵(良知)がある。

 

 善、即ち仁義を行いたいと思ったら、外でもない、ただ此の親を親しみ目上を敬う心を廣く天下の人々に推し及ぼすだけの事である。

 

 してはならぬ事をしない。望んでならぬ事を望まない。君子の道は唯、其れだけの事である。

 

 およそ德行、・知恵・技術・才智に秀でた人は、概ね非常な災患の中にあって〔發奮して努力するので〕、其の才能が磨かれたからである。

 

 人を教育する方法

  程よく降る雨が自然に草木を養育するような遣り方である。

  本人の德性を完成させるという遣り方。

  本人の才能を十分に達成させるという遣り方。

  ただ単に質問して答えるだけという遣り方。

  間接的に教えを受けて自分で修養させるという遣り方。

 

 仁という言葉は人(じん)という意味であり、人間らしくあれという事である。

 義という言葉は宜(ぎ)という意味であり、是非のけじめをつけるという事である。この仁と義との二つを合わせて、此れを人の道(道德)という。

 

 父子の間の仁、君臣の間の義、賓主(客と主人)の間の礼、賢者nとっての知性、天道にとっての聖德、此等の道德は誰しも常に望み通りに行くとは限らないから、此れも天命である。しかし、此等の德は人間固有の本性に根ざしてるものであるから、有德の君子は天命だといって諦めずに、あくまでも努力を続けるのだ。

 

 音樂の眞髄は、此の孝悌二つの道を歌い奏でて樂しむ事にある。此のように孝悌の情愛を音樂に盛り込んで樂しんでいると、自然に此れを實行したいという氣持ちが盛んに湧き上がってくるものだ。そういう氣持ちが心の底から湧き上がってくれば、どうして止めたとて止められようか。もはや止められぬとなると、音樂のリズムにのって思わず知らず手拍子足拍子で踊りだすように、〔毎日の行いも樂しみに浸りながら、自然に孝悌の道に叶うように〕なるものだ。