坂の上の雲 其の捨 〜幸福な樂天家たち

坂の上の雲 より ー司馬遼󠄁太郎 著

 

司馬遼太郎は語る・・・・。

日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語が『坂の上の雲』である。

やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。

 

 維新によって日本人ははじめて近代的な『國家』をいうものもった。天皇はその日本的本質から変形されて、あたかもドイツの皇帝であるかのような法制上の性格をもたされた。だれもが『國民』になった。不馴れながら『國民』になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。このいたいたしいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。

 一定の資格を取得すれば、國家生長の初段階にあっては重要な部分をまかされる。素性さだかでない庶民のあがりが、である。しかも國家は小さい。政府も小世帯であり、ここに登場する陸海軍もうそのように小さい。その町工場のように小さい國家のなかで、部分々々の義務と権能をもたされたスタッフたちは世帯が小さいがために思うぞんぶんにはたらき、そのチームをつよくするというただひとつの目的にむかってすすみ、その目的をいたがうことすら知らなかった。この時代のあかるさは、こういう楽天主義からきているのであろう。

 楽天家たちは、そのような時代仁としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

 

 物事を現実的に判断するにあたって、思想性があることは濃いフィルターをかけて物をようなものであり、現実というものの計量をあやまりやすい。ときに計量すら否定し「たとえ現実はそうあってもこうあるべきだ」という側にかたむきやすい。芸術にとって日常的に必要なこのフィルターは、政治の場ではときにそれを前進させる刺激剤や発芽剤の役割ろをはたすことがあっても、ときに政治そのものをほろぼしてしまう危険性がある。

 

 日露戦争前夜・・・・民衆はつねに景気のいいほうでさわぐ。むろん開戦論であった。この開戦への民衆世論を形成したのは朝日新聞などであった。学者もこれを参加した。

→日本人は國民的気分のなかで戦争へ傾斜した。

 

 日本政府がやった対露戦の戦略計画は、ちょうど綱渡りをするような、つまりこの計画という一本のロープを踏みはずしては勝つ方法がないというものであった。

 緒戦ですばやく手を出してなくぎりつければ國際的印象が日本の勝利のようにみえ、戦費調達のための外債もうまくゆく。アメリカも調停する気になる。この点をひとつでも踏みはずせば、日本は敗亡するというきわどさである。

 このきわどさの上に立って、その大テーマにむかって陸海軍の戦略も、外交政略もじつに有機的に集約した。そういう計画性の高さと計画の実行と運営の堅実さにおいては、古今東西のどの戦争の例をみても、日露戦争の日本ほどうまくやった國はないし、むしろ比較を絶してすぐれていたのではないかとおもわれる。

 

 

ロシアの戦争遂行についての基本的な弱さ

 

 満洲における諸開戦のあとを観ても、その敗因は日本軍の強さよいうよりもロシア軍の指揮系統の混乱とか高級指揮官同士の相剋とか、そのようなことがむしろ敗北をみずからまねくようなことになっている。ロシア皇帝をふくめた本國と満洲における戦争指導者層自身が、日本軍よりもまずみずからに敗けたところがきわめて大きい。むろん、ロシア社会に革命が進行していたということも敗因の一つにかぞえられるが、たとえこの帝國がそういう病患をかかえていたとしても、あれだけの豊富な兵力を器材をうまく運営しさえすれば勝つことは不可能ではなかったのである。 →兵員というものはすぐれた指導官のもとではほとんど質を一変させて戦うもの

 ロシアはみずからに敗けたところが多く、日本はそのすぐれた計画性と敵軍のそのような事情のためにくわどい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろう。

 

日露戦争日本海海戦において聯合艦隊司令長官である東郷平八郎が決戦場に向かうnあたり故國にむかってその決心をのべるための電報

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃減セントス」

「本日天氣晴朗ナレドモ浪高シ」

東郷平八郎が讀み上げた「告別の辞」の結び

「神明はただ平素の鍛錬に力(つと)め戦はずしてすでの勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に一勝に満足して治平に安(やすん)ずる者よりただちnこれをうばふ 古人曰く、勝って兜の緒を締めよと」

 

秋山好古の言葉

 日露戦争における両軍の強弱の差は日本軍は國民軍であった。ロシアのように皇帝の極東に対する私的野望のために戦ったのではなく、日本側は祖國防衛戦争のために國民が國家の危機を自覚して統をとったために寡兵をもって大軍を押しかえすことができた。

 

日露戦争後の日本・・・・

 この冷徹な相対関係を國民に教えようとせず、國民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の國民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。やがて國家と國民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。

 

 

司馬遼太郎曰く

 小説は要するに人間と人生につき印刷するに足るだけの何事かを欠くというだけのもの。いまひとつ言えば自分が最初の読者になるということだけを考え自分以外の読者を考えないようにしていままでやってきた。