七夕の歌の隠された秘密

如是我讀・・・・

 

七夕の歌「たなばたさま」

 「ささのはさらさら のきばにゆれる お星さまキラキラ きんぎんすなご

  →きんぎんすなご=金銀砂子

  →ささ=星 かね=金 ささがね=金星=素戔嗚尊スサノオ

  →素盞嗚尊=朱砂の王(鉄や水銀等を一手に握っていた大王)

 

※七夕の夜に素盞嗚尊が訪れてくれば織姫の願いが叶う。だからこそ朝廷達にしてみると許し難い事。朝廷としては最も忌むべき神の一柱だから・・・・・

「笹」は狂人や異界異形の者の象徴。何故ならば素盞嗚尊は朝廷に反抗した「狂人」で有り、自分達とは異質な人間と考えられていました。

「笹」は流行病にならず眼病が治ると謂われて来たのも、眼病は産鉄民を代表する傷病だったから。(踏鞴に従事する人々は不眠不休で炉の火を見続ける為に技師で有り頭領でもある「村下」と呼ばれた人々は其の殆どが片目をやられてしまいました。

 

日本書紀の記述

 日本書紀 垂仁天皇七年七月七日の条に、當麻邑(たいまむら)に當麻蹶速と謂う勇敢な男が居る話を聞かれた。天皇は彼と力比べが出来る人間は居ないかと尋ね、出雲国から野見宿禰という勇士を呼び寄せ二人を決闘させました。(此れが相撲の起源と謂れている)此の戦いで蹶速は宿禰に敗れ殺されてしまいます。

 わざわざ七月七日に決闘をさせる。当時から七月七日は穢れや災いを彼の世に送る日と考えられていた。其れから現在まで「眠り流し」「ねぶた祭り」「竿灯祭」等の”流す”行事が執り行われています。

 

 素盞嗚尊は八百万の神々から穢れの神の烙印を捺され神逐いにかけられました。手足の爪を剥がされ髪を抜き取られて蓑笠姿で流されました。(簀巻の起源)

 素盞嗚尊は疱瘡神・瘡神として穢らわしい神とされてきたからこそ、逆に此の神を手厚く祀る者には此れらの疫病を取り去る神として化現します。素盞嗚尊は牛頭天王と習合され除疫神として京都祇園社(八坂神社)等に祀られます。

※この牛頭天王(素盞嗚尊)が七夕に牛を引き出して水辺で洗い清めてやる「牛」=「牛頭天王」で有り、「大人」(うし)で有ります。

 朝廷は素盞嗚尊が鉄を制している存在である為に、七夕の「流す」と習慣を利用し「流す」=「子孫を根絶やしにする」と考えていたのではないでしょうか。

 

 昔、鳥取県の一地方では一粒でも雨が降らなければ二つの星が出合ってしまい、病気の子が生まれると言い伝えられ、茨城県などでは疫病神が生まれると言い伝えられてきた。

 万葉集にも古今和歌集にも「七夕に出会えて良かった」などの歌は殆ど無い。「会えなくて悲しい」と謂う歌が圧倒的に多い。 会えない事が吉というキチンとした意思”言霊”を持って歌が詠われていました。

 

・・・・・其れでは棚機津女のモデルは誰なのか

 彦星が素盞嗚尊であれば 織姫は天照大神 古事記日本書紀に素盞嗚尊と天照大神が結ばれた結果八人の疫病神が生まれたと謂う伝承が存在します。

 当時の朝廷、貴族達は二人が出会う事を忌み嫌った。素盞嗚尊は古代蘇我氏、そして天照大神秦氏を代表する神であるから・・・・・

蘇我氏(素盞嗚尊)と秦氏天照大神)の氏族は大和朝廷によって不当に搾取され零落させられていました。蘇我氏から踏鞴製鉄をそして秦氏から織姫の名の通り養蚕・機織りを奪い朝廷は更に秦氏から廣大な土地も略奪しています。

→朝廷・貴族達は素盞嗚尊・天照大神の二人が手を結ぶ事は最強最悪の一大勢力になってしまうから”七夕の夜に織姫・彦星が会うと災厄が降りかかる”と迷信を流し、此の二大勢力を陰湿で陰険で陰惨な陰謀で潰しておかなくてはならなかった。虚偽の話を廣め同時に二人が決して会えないように、凡ゆる手段で呪をかけ続けて来ました。

 

七夕は犢鼻標竿日(タフサギを竿に標ぐる日)

 タフサギ(手ふさぎ)=手で秘所を覆う布(男性の褌、女性の腰巻き)を竿に揚げて全裸の男女がお互いお求め合う。 

 沢史生は”犢鼻標竿日”に関しては「何とも哀れであり陰惨であるが、実は其れが日本に於ける七夕の原点であった」と述べています。

 七夕で願い事を書く短冊や色紙は”タフサキ”から来ています。短冊は褌、色紙は腰巻きの名残として・・・・・・

 

 伊勢物語の二十三段、二十四段、十七段が元になっている能 井筒 観世三郎元清(世阿弥)の代表曲。自身でも「井筒、上花也」と言い切っている。(世阿弥60歳を過ぎてからの円熟期に書かれた曲である)

 梅原 猛は「井筒」は明らかに女性の”物狂い”の曲ー女の執念をテーマに据えた曲であると得。

 遠い昔、まだ幼かった在原業平は紀有常の娘の二人は井筒の近くに来ては互いの姿を水鏡に写し合って遊び、やがて大人になった業平は

「筒井筒 井筒にかけしまろがたけ 生ひにけらしな妹見ざる間に」と詠む。

それに対して有常の娘は「比べ来て 振分髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰か上ぐべき」と答えて二人は夫婦になる。

 

 筒井筒→筒=星(岩波古事記P71注15に「筒は星(つつ)」)井=井戸であり川(例えば「井の子」=「川の子」=河童)

 筒井筒は「星・川・星」 = 「織姫・天の河・彦星」で七夕を表すのではないか。

能「井筒」は物狂いの能 女性にとって悲戀

 

 朝廷・貴族によって自分たちの都合の悪い事は歴史上から葬ってしまい。自分たちの都合の良いように歴史を捻じ曲げてしまった。素盞嗚尊と天照大神は実は・・・我が国最大の悲戀の主人公で有り、且つ歴史の犠牲者なのかもしれません。

 

 

余談

 七夕の時期、鬼子母神(入谷)では有名な「朝顔市」が開かれる。朝顔の種「ケンゴシ」は牽牛子と書きます。(薬効は峻下作用がある為に妊婦には禁忌でした。流産の可能性があるので)

 また、朝顔市の後は、浅草寺で「ほおずき市」が開かれます。(ほおずきも堕胎薬として使用されていた)鬼子母神浅草寺の近辺にあったのが「吉原」・・・つまり”七夕流し”の為に市が行われていたのでは・・・

 

七夕は陰湿で陰険で陰惨な物語

本日は二十四節気の「小暑」そして「七夕」ですね。

七夕は「しちせき」とも呼ばれ七月七日の夜に行われる年中行事の星祭を指します。日本に伝来し奈良時代に貴族層に受容され”万葉集”にも詠まれます。

少納言は『枕草子』で「七月七日は曇り暮らして 夕方は晴れたる空に 月いと明るく星の数も見えたる」と書き記しています。

 

彦星=犬飼星=男星 鷲座の首星 アルタイル

織女=織姫星=嫁星 琴座の首星 ベガ

 

如是我讀・・・・

 

七夕の語源は織姫星の異名の翻訳説と機を織る女の棚機津女(たなばたつめ)が水辺の機屋に篭って神の服を織り、神を迎え祭る在来の信仰によるとする説が有ります。

此の時期は盂蘭盆や農耕儀礼で有る「眠り流し」と重なった為、各地の農村にも廣く定着しました。

盆と暮れの二期を「魂迎え」の時期と信じ、此の時期に海又は山の彼方から来臨する常世の神乃至は祖霊を迎えるべく、村外れの海や川、湖沼の入り込んだような水辺に「棚」と呼ばれる祭壇を設け、其処で神の衣を機織る「神の嫁」として乙女が「棚機津女」と呼ばれました。この「棚機津女」の信仰に基づくもので有りました。因みに神の妻となる処女を住まわせた川辺の清浄の場所を”湯河板挙”と謂います。

万葉集に「天の川 棚橋渡せ織女(たなばた)の い渡らさむに棚橋渡せ」と詠まれいます。

「七夕」の讀みは「棚機津女」から来ています。

 

※眠り流し:秋の収穫前に仕事の妨げとなる睡魔などを送り出す為に形代に「穢れ」などを付けて流す所謂「神送り」の行事が発達したものです。主として七夕送りの行事として全国に分布していますが、津軽地方の「ねぶた祭り」秋田の「竿灯」が特に規模盛大で有名ですね

又、「七夕人形」や或いは笹竹を立てて提灯を吊るして注連縄を張ったり、飾り物を乗せた「七夕舟」を川や海に流しました。日本本来の七夕祭りは夏と秋との季節の行き合う時期に行われる季節の祭りで有り、先行して行われる六月晦日の「夏越しの祓え」の神事と習合し半年の罪穢れや疫病神で有る牛頭天王を流し退散させる為の「行き合い祭り」としての性格が強いです。

→季節の交差期に禊ぎをして身についた罪穢れを洗い流して新しい生活に入ろうとする信仰に基づいています。三月の雛の節句に形代としての人形を作り、此れに穢れを撫で付けて川や海などに流す「流し雛」五月の節句の武者人形も同様ですね。七夕も同じで盂蘭盆という大きな祖霊祭を控えての重要な禊ぎ祓えの行事でも有りました。特に上弦の月の出る七日の夕べは望月十五夜の祖霊祭の行われる潔斎の最初の日でも有りました。

 

□七夕は陰湿で陰険で陰惨な物語

「棚機」は不吉の象徴 ”棚機”の格数は28格=大凶の数。人間関係で人の何倍も苦労しやすい運を持つ。人から裏切られる。結婚しても相手が急に変貌し苦労する。

  ・機(はた)は正に婢に問うべし=は卑しい身分の女性の役目という意味

   棚機津女は神に衣を着せて差し上げる「更衣」

   平安時代には「更衣」という身分の女性がいました。「更衣」の仕事は天皇の衣

   替え。同時に後宮の女宮として天皇の寝所で奉仕する役目を担っていた。中宮

   女御に次ぐ地位を与えられていました。

 ※棚機津女とは神の一夜妻(強制的に神の相手をさせられた女性)。

 棚を打つ=捕縛する・逮捕引到する意。又、「機」は遺体を安置する床という意。

 「棚機」=捕縛され磔に遭っている死に体の状態を表しています。

 →棚機津女=(棚機の女)は自由を完全に奪われている女性。

 

蜘蛛姫(細蟹姫)の伝承

  七夕の夜の供物に蜘蛛の糸を懸けたら願い事が叶い、待ち人が来る。蜘蛛と小さな

  蟹とは姿形が似ているから讀み方が同じという説が有ります。

  蜘蛛=「朱を知る虫」=水銀

  細蟹=ササ・カネ=砂々・金 

  蜘蛛も細蟹も砂鉄や金を司る人々を表している=産鉄民

  砂々は七夕の「笹」に繋がります。不吉な言い伝えを多く持っている「笹」を敢え

  て飾る。

  笹を七夕飾りに特化して飾られているのは、其れが「砂々」を象徴していたから。

 ※笹を持って出現する人間は此の世にあっては狂人で有り、若しくは異形の者と考え

  られてきました。湯立神事で笹の雫をかける巫女なども一時だけは神懸かりして此

  の世の存在では無くなるという設定が有りました。

 

 七夕の歌に隠された秘密とは・・・・明日に続きます。