天命を識り、愉快に生き抜く。

 人は其の務めを果たす上で『趣味』を持つ。『趣味』とは理想や思いを付け加えて→實行していく「好んだり樂しんだりする」という意味にも受け取れる。更に一歩進んで人として生まれたからには、人としての『趣味』を持つ。社会の中で一人前の『趣味』を持って其のレベルが上がっていけば、其れに見合った成果が世間に齎される。『趣味』の有る行動であれば必ず其の仕事には心が籠もるに違いない。

 孔子も「理解する事は愛好することの深さに及ばない。愛好する事は樂しむ境地の深さに及ばない。」此れは『趣味』の極地と謂ってよい。自分の務めに対しては此の熱い眞心が無くてはならない。

 

孔子

「親を大切にして目上を敬う人間が上の者に逆らう事は滅多に無い。上の者に逆らわない人間が組織の秩序を乱す事は有りえない。」親や目上を先ず大切にするのだと教えた。

 「仁」ー物事を健やかに育む

 「義」ーみんなの爲を考える

 「礼」ー礼儀を身につける

 「智」ー物事の内實を見通す

 「信」ー信頼される  という五つの道(德)を押し廣げていく事で同情する心や恥の氣持ちを人に抱かせ礼儀やケジメ、勤勉で質素な生活を尊重するように教えた。

 江戸時代に「飾りげなく、眞面目で恥を知り信用や正義を重んじる氣風」が浸透して行く。そして人々の中に自分を向上させる爲に學問をするようになる。自身の心を磨く心の學問に力を尽くすようになる。

 

■愉快に仕事をすること

 仕事とは地道に努力していけば精通していくものだが、氣を緩めると荒れてしまう。大いなる愉しみと喜びの氣持ちを持って仕事・事業に携わっていく。精神が潑溂として愉快な氣持ちから愉しみを發見し、更に尽きない喜びを感じて仕事・事業を進める原動力とする事ができる。

 人が常に抱くべき「人道」とは何より良心と思いやりの氣持ちを基盤にしてる。仕事んは誠実且つ一所懸命に取り組み同時に深い愛情が無ければならない。

 

■天から与えられた天命に対して

 「恭」ー礼儀正しくする

 「敬」ー敬う

 「信」ー信頼する  

“人事を尽くして天命を待つ” 

 天地と社会との間に起こる因果応報の原則を「偶然に過ぎない」などとも考えず、此等を全て天から下された運命だと考えて「恭」「敬」「信」の氣持ちをもって臨んで行く。

 失敗したらお天道様から下された運命に任せたらよいのだ。“失敗しても飽くまで勉強を続けていけば、いつかまた幸運に惠まれる時が来る”成功や失敗の良し惡しを議論するよりも先ず誠実に努力する事。そうすれば公平無私なお天道様は必ず其の人に幸福を授け運命を開いて行くように仕向けてくれる。

 正しい行爲を道筋は天にある日や月のように、何時でも輝いて少しも陰る事が無い。だから、正しい行爲の道筋に沿って物事を行う物は必ず榮える。

 成功や失敗とった価値観から抜け出して超然と自立し、正しい行爲の道筋に沿って行動し続けるなら価値有る生涯を送る事ができる。社会を生きる上で中身のある生活をする。

 

※人は人としてなすべき事を基準として自分の人生の道筋を決めていかなければならない。だから失敗とか成功とか謂ったものは問題外なのだ。

 人は人として爲すべき事の達成を心掛け自分の責任を果たし、其れに満足していかなければならない。

 知惠有る者は自分の運命を作るというが運命のみが人生を支配するものではない。其処に知惠が加わって初めて運命を開いていく事ができるのだ。家康と秀吉はよく此の事実を証明している。  ー司馬遼太郎の言葉

 

 

※人間は弱い生き物ではなく芯があって強い、人間の意志には力がある。其の意志を持っているからパワーが満ちると強い。

 人間(じんかん)→仏教用語で人の住む世界。現世の事。

   (ひとま )→人のいない時。

   (ひとあい)→人付き合いや人に対する愛想の事で人愛(ひとあい)とも書く。

 

 人は一人では生きていけない。だから人との関わり合いが人間其のもの。人間関係が一番自分を磨いてくれるもの。人間=人愛という優しい響きの言葉と共に人と接していく謂う事が必要なのかもしれません。 ー“美人の日本語” 山下景子 著 よりー